2005-09-27から1日間の記事一覧

9月

相方さんと1周年。正直言っておどろきでございます。 何だなんだ・・・最近になればなるほど書くことがないじゃないか!!う〜ん、研究してるせいかな。そして眠い。今午前4時。だけどまだ実験終わってなかったりするわけで・・・。でも、そろそろ文章が打て…

8月

1週間だけ実家に帰り、すぐに戻ってきて実験装置の修理を頑張る。

6月、何故か実家に帰る。

starさんの誕生日を祝う。

5月中旬のインフルエンザ

あの病院をわすれない。タクシー代往復4千円も忘れない。でもかかった原因は、ゴールデンウィーク中、1日だけあった俺の唯一の休みを奪うの承知で、わざわざ長岡までいらした両親であると思う。「殺す気ですか?」と本当に言いたかった。その余波で過労で抵…

2005年4月

バイトを始める。茨城人の知り合いが増える。

相方さんの研究室。

とっても忙しいため、相方さんが研究室配属された2月中旬頃から、会う回数が急激に減った。

大雪

相方さんの家から帰ろうとしたら1時間待ってもバスが来ない。友達呼んでも「今日は無理・・・・。」わかってる、ごめんなさい、って感じでした。写真をあとでUPしましょうかね。結局相方さん宅に戻る。足首から先、感覚がありませんでした。

だからキライだよ こんな日に出かけるのは 人がやたら歩いてて 用もないのに

文句があるなら奥田民生さんにおねがいします。1月下旬に大学院の推薦をもらうための試験があったので、実家に帰らずにひたすら勉強、勉強。年末年始は寮の暖房(スチーム)が切れる。死ぬかと思った。まあ意外といい成績でよかった。勉強した甲斐があったって…

えびで〜い あいりっすんとぅまいは〜とぉ〜(平原綾香さんのjupiterです。CMより)

えー中越地震ですね。

追試

必修科目の追試のためにひたすら勉強。友が死のうが悲しみにくれている暇はない。それがウチの大学。追試が終わったあと、号泣した。相方さんがいてくれてよかった。

さらば友よ

クラスメイトが急死。くも膜下出血だった。友人が死ぬっていうのは初めての経験で、何とも言いがたいショックを受けた。

大きなあくびをした後に 少し照れてるあなたの横で

入学式で一目惚れした娘は、友人と学科が同じ。で、そこそこに仲がよかったみたい。で、友人「君のメアドを知りたいと言ってるんですが、いいかい!?」俺「お願いしまっす!!!!!」最初は信じられなかったね。まさか、ねぇ♪そんなアホな♬その流れで付き…

夏休み

実家に2週間ほど帰省。わだかまりはなくなってはいなかったけれど、少し小さくなっていたと想う。

実験

わかっていたけど、改めて手先の不器用さを感じてイヤになる。 ホントに進路変更しようと思った。

勉強

マジでまったくわからんかった。わからん→学校行かない→もっとわかんなくなる→ますます行かなくなる→・・・とゆう典型的すぎるパターンにはまり必修を落としそうになる。

寂しさ

2年間も何もなくてすっごく寂しかった。しかも友人が物凄いラブラブっぷりで、本人たちはそのつもりがなくとも、見せ付けているようにしか見えない状態。耐えられんかった。マジで(笑)

いざ、長岡へ!

は〜やっと大学に来たね。まず、寮。事務机とイスとベッドとスチール製のロッカーが備え付けになっている。床は板ではなく、タイルみたいなカンジ。ってなワケで・・・刑務所の独居房にしか見えねぇよ!と何人がツッコんだかは定かではない・・・。でも実家…

救世主はバンプ。

この頃も「ロストマン/sailing day」をよく聞いていました。なんとか出航しようと。終わっちゃってる実家から、思考の逃げ場所になってた過去の恋から、すごく寄りかかれるstarさんから。う〜ん、だいぶ時間かかったけど、今は全部から出航できた気がする。…

歩き出した迷子

そんなんこんなんで、自然に長岡に決定。紆余曲折が長かったことから、中には「どうせまた何か言い出すんだろ」とゆう冷ややかな視線で見つめる人もいた。

歩き出せずにいる迷子。

長岡は行きたくなかった。車社会を車なしで生きてくなんて考えられなかったから。だからH大学SR学部とKKS大学K学部を受験したいと母に言ってみた。怒鳴られた、もしくはそれに近い音量で罵倒され、「長岡の何がそんなにイヤなの?」車買ってくれないから!!…

T葉にて。

俺の大本命にして、岡山不合格なため背水の陣のT葉大K学部。 1日目 筆記試験。 専門・・・わかんなーい。 数学・・・白紙♪(真っ白ではないが1問も当たっていない。)ここまでは予想通り。(それはそれで問題だ。)

大学の面接。

例年ほぼ全員が受かっているので、可能な限り面接官をおちょくってやろうと思っていた俺。別に落ちてもいい、むしろその方がいい、それくらいの気持ちで臨んだ。

長岡の第一印象

街 田舎 車がないと日常生活に多大な支障がある。 大学 コンビニまでとっても辛い坂がある。行きはいい。帰りが・・・。 可愛い子がいない。推薦に期待するしかない。 学食が値段のわりに不味い。食べたくない。

長岡初上陸

高専5年の7月上旬のこと。岡山大学K学部に見事不合格!で、口頭試問中に「もういいよ」を連発されたショックをかなり引き擦りながら実家から水戸駅へ。なんでここから始まるか?事件はここから始まったからです。

以下、「長岡と僕〜1年半の記録〜」

ありがとう長岡。

さてはて、実家へ帰るの日を木曜の午後〜金曜の午前中という若干アバウトに決めたところで、僕の長岡に対する深い想いを綴らせていただきます。駄文な上に誤字脱字ばかりであるのは百も承知なので・・・、そゆのが気になる方は流していただけると幸いです。 …

傷がズキズキ。

語呂で「夢がモリモリ」のフレーズを思い出した人は、同世代か少し上の世代であろう。一向に治らない包丁の切り傷。実験しなきゃ治るかも☆そんなわけにゃいかんのだけれど。

ここが出発点 踏み出す足はいつだって初めの一歩

荷造りが進まぬまま日付は進み、実験がはかどらない上に減らないgracewoodでございます。今日も徹夜したため眠い。2時間半睡眠ではキツいねぇ(>_