中学生時代。
弓道部は楽しかった。
家にいる時間を少なくできることが何より嬉しかった。
家にいることはすでに苦痛だったから。
家にいることは、勉強しろと母に迫られることと同義だった。
姉は3歳年上なので俺が中学生のときはちょうど高校生。
勉強における能力差はもう一目瞭然だったから、姉が俺の成績との比較で苦しむことは少なくなっていた。
姉は憂さを晴らすかのように遊んでいた、といったら言いすぎだが、結構楽しそうだった。
俺は母の機嫌をとるためできるだけ家にいなければならなかった。
遊びに行くなとは言われなかったが、家に6時には帰り着いて食事に間に合わなければ、明らかに不機嫌になった。
俺は次第に出掛けるのが億劫になり付き合いが減っていった。
学校にも馴染めないことがはっきりとしていった。
勉強は、塾に行かなくても、予習復習しなくてもそこそこできた。
市内の高校になんとかいけそうな程度には。
この頃から努力家の父と比較されることや父の涙ぐましい努力を聞かされることが多くなったように思う。
県立校トップクラスの高校が家から見えるのだが、それが父の母校だ。
親戚は明らかに期待していた。
どう見ても賢そうにも努力家にも見えない俺だったけど。
期待を裏切って落胆する顔が見たいと思った。
一度期待に応えたら、それから先も応えなきゃいけない気がしたから。
それはとても面倒な気がしたから。
だから俺はあえて勉強しなかった。
でも成績は落ちなかった。
3年生の夏休みになり、部活を引退し、家にいなければならなくなった。
洗濯物の取り込みとかを任されていたから。
それをしないと母は不機嫌になり、家がギクシャクするから。
だからほとんど家にいた。
ただし勉強はしなかった。
進学なんかしたくなかった。
とにかく実家を出たかった。
忌々しい、息が詰まるような実家から。
ご機嫌取りばかりしなきゃいけない実家から解放されたかった。
が、そんな俺の気持ちを少しは見抜いたのかそれともただぐーたらっぷりに堪忍袋の緒が切れたのか、母はヒステリックにキレた。
進学しないつもりなの!?いったいあなたはどーしたいの!?
俺は勉強しなくてもどっか受かるよ、と言いたかったが、すでに地元の塾の入塾試験を白紙で出し実家に波乱を呼んだ俺が、これ以上の嵐を巻き起こすことは許されなかった。
姉のため、母が母として親戚に顔向けできなくなるようなことはしたくはなかった。
だって面倒だから。
だから勉強してるフリだけはするようにした。
秋ごろ、茨城高専という学校の存在を知った。
5年で卒業して就職できるのがいーじゃん、よし決めた!高専に行こう。化学ならそんなに数学も使わないだろう、まあなんとかなるだろう。くらいな気持ちで。
評点の低さから推薦は無理だったため、一般試験へ。
数学と理科だけサクッと勉強してきっちり合格。
姉は専門学校に推薦で合格。
この頃、姉を再び苦しめる。
俺にかけられまくった、国立行って親孝行だね、という親戚の言葉は、私立に進学した姉および俺と同い年の従兄の心に少なからず突き刺さっただろう。
俺は誉められたくなんかなかった。
誰かを傷つけてまで誉められても嬉しくなんかなかった。
勉強なんかできなきゃよかった。
やらないからできない、やればできるさ、くらいな格好悪い言い訳をする人生の方が惨めでも幸せだったと思う。
誰かを傷つけるのを眼の当たりにし続けるよりは、ずっと。
それが逃げだと言われても。