甦る記憶。
といっても記憶を封印したりはしてないんだけどね。
俺の行動や言動、今の状況を作り出した根底に流れるものが、わかってはいたけれどはっきりと紐解かれた。
いい子にしなきゃ(姉のように)怒られる、そう思って縮こまって20年間実家で生きてた。その悪習に捉われて生きてきた尾が引いてる。悪習は断ち切ったけど、この人生に及ぼしたその影響はもう断ち切れない。
時間が経ちすぎた。
もう昔すぎてよく覚えてない。
だけれど、泣きながら母に叩かれ罵声を浴びせられ続けた姉の姿を思い出した。
小学校低学年の頃だろうか。
いやもっと前から。
小さい頃に家族旅行に行ったときは、山とかダムとかやたら歩く場所ばかりだった。それは父が大きなカメラを持って綺麗な景色を撮影するためだったのかもしれない。
姉はいつもぐずって「歩きたくない」と言っては母が毎回のように叱っていた。
幼心に、俺は母に怒られるのが恐くて、足が痛くても無理ばっかして平気なように笑ってた。
確かに笑ってた。
いつもそれを誉められた。
「頑張ったね」と。
でもちっとも嬉しくなかった。
姉が泣いていたから。
まるで姉は俺の代わりに怒られているようだった。
俺が小学生のとき、家でも姉はいつも怒られていた。
幼心にも理不尽に見えた。
有無を言わさず叩かれていたから。
姉が手をかざして顔を守ろうとすると母の手は止まり眼光がするどくなった。
姉は正座し手を膝のうえに置き母を見上げた。
次の瞬間、姉の頬に平手打ちが飛んだ。
姉は上体が崩れながらも母を見上げ続けた。
母は姉を蹴りとばしながら罵声を浴びせた。
それは今以て俺が女性には決して使わない汚い罵り言葉。
陰口でもそれは言った記憶がない。
しかし母は俺には異常に優しかった。
姉を叩いたあと、すぐに俺に優しく触れた。
俺は恐かった。
もちろん母が恐かった。
でも一番恐かったのは姉の視線。
どんな気持ちだったろう、自分を叩いたその手で弟に優しく触れる母を泣きながら眺めるのは。
姉はいったいどんな気持ちで俺を見つめていたのだろう。
俺は俺のことも姉と同じに叩いてほしかった。
そうすれば姉と仲間になれると思ったのかもしれない。
でもその願いは叶わなかった。
結局母は俺にほとんど手を上げなかった。
母にひどく怒られたある日、台所で姉は泣きながら包丁を手に取った。
刃先は姉自身に向いていた。
母は姉を叱った直後買い物に出掛けていた。
家には姉と幼い俺の二人きり。
姉の手は震えていた。
しかし刃はわずかながらも姉の腹に向かっていた。
俺は泣きながらやめてと喚いた。
そのとき父が帰ってきた。
俺は急いで玄関へ行き父に言った。
「おねぇちゃんが…おねぇちゃんが………」
言葉になどならなかった。
ただ恐かった。
姉の覚悟が。
姉は本気だった。
そのあとのことはよく覚えていない。
帰ってきた母は泣きながら姉を抱き締めていた。
母が姉を抱き締めていた記憶は、その1回しか俺にはない。
俺は恐怖を植え付けられた。