民主と自民のなすりつけ合いは些事でしかない
何故か?
自民は主張する。
「政策論争から民主が逃げる」
民主は主張する。
「責任論から総理が逃げる」
両方的を射てる話だけど、問題なのは、ジャーナリストの方の御意見。
「徹底した政策論争をして国民の審判を受けよ」
…それ、前提条件崩れてますから。
国民の審判=政策論争に基づくもの、であれば勿論正しい。
が、果たしてそうだろうか。
「国民の審判」てゆうヤツは、雰囲気でだいぶ下されて来たでしょうが。
近年(小泉政権以来)、その傾向が強まってるでしょうが。
自衛隊派遣で小泉さんが暴論を主張しようが、支持率も議席も大して減らず。
少なくとも今の日本の政治において、「国民の審判を受けるための政策論争」は無意味である。
もっと大事なことがあるでしょうが。
徹底した議論に対して国民が
関心を持って吟味しなければ、
時流に流されない主義主張を
一人ひとりが持って、考えて、
一票を投じなければ、
意味がない。
そういう面では、政治家の失態をシバくことしかできないマスコミは、
過ちを犯した政治家よりタチが悪い。
真にシバく相手は他にいよう。