不自由と嘆いてる自由がここにある。
前にもこんなタイトルやら見出しやら書いた気もします(笑)
なんてーか、思ってることが同じなんでしょうね、ずっと。
やっぱりね、親に素直に感謝できないことが一番辛いんだ。
世話になったし、金銭面での助けは莫大だった。
でも、精神面に限って言えば、
俺の精神を破壊したことはあっても、
救ってくれたことはなかったように思う。
辛いときの俺にかける言葉はいつも的外れ。
俺が欲しかったのはそんなんじゃない。
優しさじゃなく正しさ。
名付けて、「非・理不尽」。
理不尽でない言葉なら、きっと何でもよかった。
それが、激励を含まない叱咤でも。
中途半端に思われるより、ずうっとましだ。
だから、そういう親(特に母親)を反面教師にして生きてきた。
大学進学で実家から離れて、その影響下から一応は脱出して、
やっと自分について、
これから先、自分として生きていくために、
深く深く、血を吐くような想いもして考え抜いたから。
故に、親と離れていく。
自分という人間を見つけ、
生きていこうとすればするほど、
親と離れてく。
もともと分かり合えなかったに違いない。
「服従」か「無駄な反抗」か、
そのどちらかしか選べなかった環境では、
分かり合うなど不可能なこと。
与えられた環境に対する感謝、
与えられた苦痛に対する恨みつらみ。
世の中の大半の人は矛盾するこの二つをうまく処理して生きているのだろう。
それを俺ができないだけなのかもしれない。
いずれにせよ、もう限界に近い。
ふとした瞬間、2つの感情が入り混じる。
俺は平静さを失う。
止めがたい破壊的な衝動に襲われる。
毎日がそれとの戦い。