宮崎県知事選のその後とか、そのほかいろいろ政治について思う。

日本人、潔癖すぎやしない?
何かあったらすぐ「裏切られた」とか「失望した」とか抜かす。
そういうこと言うなら、自分なりの理想とか、信念とかを具体的に持っているんでしょうかねぇ。
政治不信どーたらこーたらってよく聞くけど。
(それが恒常化した現在は聞かなくなったけど)
未熟でもいい、必死で考えたらわかるはず。
「清濁併せ呑む」
という言葉の意味がね。
誰かが言ってたらしーね。
「どれが一番マシかを選ぶ。それが選挙。」
ってね。



批判する時は、自分の立場、思想、信念に立脚してモノを言う、これ議論の基本。
それがないなら言うべきではない。
場が混乱するだけ。
権力を監視するマスコミには、権力を批判する資格があるし、権力に対し圧力をかける資格もある(理論上は)。
その資格=権利に対する義務は、自らの立場を明らかにすること。

それは市民も同じ。
「期待してたのに・・・」
って言う資格があるのは、本来、普段から考えている人だけ。
考えて、多少なりとも方向性を言える人だけ。
考えていないのに批判だけするのは、絶対におかしい。

と昔から思ってきた。



今でも思い出す、加藤の乱
確かに、加藤氏は期待を持たせるような行動をした。
だけど、普段から政治を見ていれば大方の予想はついたはず。
「政権転覆は、ない」
ってね。
当時高専2年生でしたが、見えましたよ、結末が。


「茶番だ!」とか「期待させるだけさせて・・・」などなど、
加藤氏に寄せられた批判は数知れず。
国民の味方面したマスコミももちろん猛烈にバッシング。
かくして、加藤氏は政界における権力を失った、と。


でも考えてみて欲しい。
「期待を持たせた人」と「期待を煽った人」は、同一か?
俺はこう思っている。
「期待を持たせた人」=加藤紘一
「期待を過剰に煽った人(?)」=マスコミ各位
乱が、乱で終わることはかなり最初の段階でわかったはず。
にも関わらず、「希望」を語り、いや騙り続けたマスコミには罪はないのか?
加藤紘一氏はそんなに悪いか?
自民党政治に、森政権に一石を投じようとしたことはそんなに罪か?
勝算もない戦を起こしたことは、政治家として叩かれるのは仕方ないけど、
彼の目指したものが間違いだったとは到底思えない。
にもかかわらず、どうして彼が一方的にバッシングされなければならなかったのか、
どうして彼に同情する声がほぼなかったのか、
俺はまったくわからない。
国民が、マスコミが見る目も考える頭もなかったとしか思えない。



いやー、マスコミの扇動は怖ろしいですね。
絶対的多数をつくり、イコール正義にできるんだから。


市民がすべきことは、マスコミや政治の批判じゃなく、自ら考え、行動することじゃないんでしょうか。
自ら考え、自らを律し、自ら動く。
そうすればきっと、納豆やレタスの効能の捏造も笑い飛ばせるはず。
失望を表すのではなく、希望を見つけ、そのために自ら動けるはず。


そうなれば、日本が変わるんじゃないでしょうか。
テレビから与えられる情報に食いつくのはもうオシマイ。
情報は咀嚼して消化するもの。

美しい国は、美しい国民がいてこそだろう。
美しい国民がいる国が美しい国になのだ。