地域活性化の効用。

俺が注目しているのは、環境問題への貢献と高齢化社会における有用性。
コンパクトシティ構想の視点である。

現在、京都議定書のCO2削減目標のクリアが絶望視されているが、
その原因の一つとして、90年代に郊外の開発が活発になり、モータリゼーションが過度に進展したことが挙げられる。

事実、産業部門の省エネ化は相当進んだが、運輸部門、特に民生部門におけるエネルギー消費増大が、遥かにそれを上回ってしまった。

これは、生活区域の広域化および自動車価格の相対的低下による、自家用車台数の増大のためである。

しかし生活区域の広域化がもたらす影響は環境問題だけではなく、高齢化社会にも及ぶ。

自動車運転免許返納制度が設けられたのはいいが、実際、車無しで生活できる地域が大幅に減少しているのだ。

それは、高齢者が自分の運転の危険性を認識しながらも、自動車を運転し続けるしかないという状況を生み出す。

行き着く先は、高齢者による交通事故の多発であり、悲惨な交通戦争時代の再来もありうる。

自動車に関連した環境問題を解決するだけなら、環境に優しい自動車を解決すればいい、という向きもあるだろう。
しかし、ハイブリッドに次ぐ次世代の主役と目される燃料電池自動車は、実用化のメドが立っていないのが現状である。

技術的には充分実用化可能であるが、実際的には、燃料となる水素の危険性が高すぎ、そもそも水素を安価に製造する技術すらない。

仮にコストや安全性の諸問題を解決したとしても、先に述べた高齢化社会には何の効用もない。

自動車の安全技術が進歩して、高齢者を補助するという意見もあるだろうが、現時点で市場投入されていない技術の進歩を待つほどの余裕など、今の日本にはない。
15年もすれば、団塊の世代の高齢化が問題として浮かび上がるだろう。

それからでは遅すぎるのだ。



近年、地方のローカル鉄道の廃線が相次いでいる。
中には地元の支援を受けて存続する例もあるが、かなり稀である。

長年苦しい経営を強いられてきた地方鉄道には、攻めの経営に転ずる体力もなく、消えていくのだ。

これは、明らかに国や自治体、時には経営会社の無策が招いた事態であり、必ず後に、後悔されると思う。



環境問題や高齢化社会などの諸問題は、様々な面から解決されていくべき懸案事項である。

俺はどこに寄与したいか、何が出来るか、よく考えて就活を進めていきたい。