一昨日の話。

教授がキレた。俺に。

俺の実験が進まないことやら実験に取り組む姿勢やら教授への返答やら・・・

で。俺もキレた。




正直、限界だった。

実験以外の研究室のオシゴトを放棄して、自分の実験に集中している彼が隣にいるところで、

ただでさえ、バイトをして心身ともにギリギリな状況で、オシゴトを半年してきた。

オシゴトは楽しい。

終わったあとの「幹事ごくろうさま☆」を言われるたび、

「やってよかった」と思う。

長岡大花火の時は、その下準備や当日のハプニングが多々あったせいか、

涙もろい俺は、泣きそうになるくらい、そのくらい嬉しいし楽しかった。



けれども。

それは俺のプライベート及び単位を犠牲にした結果でもある。

が、隣の同期は自分の実験をとにかくこなすことに集中し、

週報でも多々の実験結果を発表する。

そんな彼は時々俺に言ったものだ。。。

「よろっと実験しねぇとヤベェんじゃね?(長岡弁)」

じゃあ手伝え、と言ってやる奴じゃない。

言い訳をして逃げるだけ。

その分、俺がやってきた。

実験なんかやってられるかっ!!

その思いはずっと消えなかった。





で。

教授が部屋を出て行った後、タバコを吸いにベランダに行く前に、

キレて椅子を蹴り飛ばしたところを再び教授に呼ばれた。

そのまま教員室へ連行。



諭された。

優しく叱られ、そして厳しく諭された。

教授の真意を知り、泣けてきた。

真摯に、且つ理不尽ではなく、諭すように優しく叱られたことに泣いた。

俺はこんなふうに叱ってもらえたことは、俺の記憶にない。

一度たりとも。

いつだって感情的になった両親に怒られただけ。

なじられ、多くは理不尽に一方的に言われた。


だが教授は、俺の「自分のデータで発表したい」という一言から、

俺のプライド(無駄に高い)や意を汲み取り、実験を急かしたのだ。



たった一言、つまんない一言だった。言葉を発した本人=俺にとっては。

何の深い意味もなかった。

でも教授はそこから俺のことを判断したのだろう。

俺のことを理解しようとしてくれたのだろう。

しかしあまり俺は実験をしなかった。

その上での叱咤だったのだ。



母親にすら「何考えてるかわからない!!もうイヤ!!」

と中学生の時に言われた俺なのに。

(今なら、「すぐ感情的になる人には誰の心もわかるはずない」ことはわかるけどね。」)



聞く人によっては、たった一言でも大きく違うのだ、ということを改めて実感した。

親だろうがわからないひとにはわからないのだ。

他人だろうがわかる人にはわかるのだ。

「男が人前で泣くもんじゃない!!」

教授、アンタはそう言うけどさ。

そりゃ無理な相談だよ。

知らないだろうけどさ、親が投げ出すような野郎を、アンタは受け止めようとしてくれてんだ。

男泣きさぁ。




何とか泣き止んでベランダ=喫煙所に行くと、D4の先輩とM2の先輩が温かく迎えてくれた。

笑顔で俺の肩を叩く先輩。



俺はまだ頑張れるよ。