12年前はどこにいた うつむいたまま出会ったね
あ、実家にいました(笑)
んー10歳か。
この時既に、実家にいるのが辛くなってた。
笑っていいともや、バラエティー番組禁止令、果てには食事中のテレビ禁止令が突然出たり。
先週まではフツーに見てたのに。
しかもこの頃はテレビは一台だけ。
(前にも書いたけど、アニメ全般禁止。ドラゴンボールもスラムダンクも。幽遊白書も。高専に入るあたりまでは、漫画自体もかなり厳しい規制があった。)
あと昔はダウンタウンの番組は全面禁止だった。下品だから、らしい。だから俺はごっつええ感じを知らん。
命令者は全て母。
そんな日は決まってマズイ晩飯を食った。
畏縮しながら。
俺が実家にいた頃、いつも首を縮こまらせ畏縮していたこと、母は自覚がなかったようだ。
(今年の四月にバトったとき、その旨伝えたら「ショックで涙が止まりませんでした」と言っていましたんで。ちなみに、そのメールで、母は冷静に叱ることができないとゆうことがハッキリし、奨学金を独断で借りる暴挙に至る。)
何でこんな話をするかってぇと、似た境遇でお悩みの方がいるから。
子にとって、家の中では親が絶対なんだよね。
俺は食わしてもらう身である以上、それを理不尽だと言う気は全くない。
が、全てを押し付け決定権を奪う権利はないと思う。
人は、一生、家という狭いコミュニティで生きていくわけではないのだ。
ほとんどの人は社会で生きていくのだ。
俺は、昔は夏休みが嫌いだった。嫌いな家にいなきゃいけないから。
軽い言い訳だが、ハッキリ言ってあんなところで勉強はできん。
邪魔をするのだ。
泣いて頼んでも、理由も告げず塾に行かせてもらえなかった姉。なのに、明らかに実力以上の高校を受験しろと言われた姉。ちなみに俺の家は別に金がなかったわけでもない。
もう意味不明なのだ。
そんな姉を見たから、俺は塾は愚か高校に行くのも嫌がった。だから勉強はしなかったが成績は変わらないのが嫌だった。
働いて家を出たかった。
出てしまえばよかったかもしれない、今でも少しそう思う。
出てしまえば俺はここまでオカシクならずに済んだのかも知れない。
だけども、我慢して実家に留まって得たものは数知れない。
今でも大事な元恋人と、役立たずな俺を気にかけてくれる親友。
これだけでも実家にいた20年の苦労は報われる。
うまくは言えない。
辛さもわかる。
泣いたっていい。
頑張れない日があっても仕方ない。
でも決して諦めないで欲しい。
諦めて、チャンスも大事なものも手放したりはしないで欲しい。
そう伝えたい。